Archive for 2009年7月

クーキ読めよ!

7月 20th, 2009

都議選は自公政権党の惨敗に終わった。しかしアソーソーリと細田幹事長は、一地方選の問題であって国政選とは無関係との強弁。都民、さらに国民の多数が何を求めているのか、クーキ読めよ!
いや、彼らは知っているのだ、十分に。それを強引に言いくるめ、胡麻化そうとしているのだ。当然反発が起こる、しかも与党内部からも始まった。
だが考えてみよう。こうした彼ら政権担当者は、世の中の状況を正確に読み取って正しく判断し、真摯に応えようとの意思は持たないと断ぜざるを得ない。であるなら、この国のかじ取りを彼らに任せてはおけないとなるではないか、いかに彼らが「政権担当能力は我らにのみあり」とうそぶいたところで。

では、民主党はどうか。つぎの衆院選で第一党になる可能性大だ。ならば、国民がどんな思いで民主党を選ぶのか、よほど真剣に考えるべきだ。自民・自公の長期政権による負の遺産を受け継いで処理してゆく役回りなのだ。千載一遇と有頂天になってはおれないのだよ。見るべき結果を出せなければ、国民にはすぐにそっぽを向かれてしまう。

かってイラ菅こと菅直人さんはイロごとでしくじり、「ワキが甘いのよ」と奥さんにやられたという。ウフッ、彼我ヒトなり、だね。

だが、小澤一郎、鳩山由紀夫ご両人の政治資金処理問題はどうだ。どう抗弁したところでブザマだ。身綺麗にしとけよ!

つまり、民主党も十分に自民的体質を持っているのだ。いや、政治・政党に共通する臭みなのだろう。民主党も出自・背景の様々な議員が派閥を作っている。けっして一枚岩ではない。だが、政権の座についた暁には打って一丸となり、高い志をもって国民の付託に応えなければならない。間違っても派利派略に走ったり、権力をむさぼってはならないのだ

革新とか改革とかいうのは怪しい。この言葉を掲げて、これまで、どれだけ欺瞞・抗争・暴力・犯罪が行われてきたか。独り善がりの理屈を並べ、権力を奪うとやることは旧に同じ。いや、志が低いだけに、もっとひどくもなる。組織の末端へ行くほど、小さな権力に奢るやつが出てくる。さらに、単なる嫌がらせに堕して恥じないのだ。高く掲げた改革:革新のスローガンもどこ吹く風。心すべし。

期待と警戒。

冤罪

7月 1st, 2009

国家犯罪の最たるものは戦争である。強大な権力が犯す犯罪行為は、他にもある。冤罪がその一つだ。

足利事件の菅家利和さんは、この国家権力の誤った行使によって、17年の長きにわたって拘束された。処刑されていなかったのが救いだが、日本の司法の拭い難い汚点だ。

警察・検察の幹部が謝罪したものの、失われた時間は取り戻せない。かって一方の当事者であった地裁裁判官は、「仕方がなかった」と他人ごと然。高裁の対応は、臭いものにフタ。三審に加え、再審請求をも却下してきた裁判所の責任はどうなのだ。仮に法務大臣の首を飛ばしたところで、何の足しにもならない。

一件落着と捜査陣が表彰まで受けてのんびりしているうちに時効成立。幼い女児を殺害して、塵芥のように捨てた卑怯・卑劣な真犯人は、どこかでほくそ笑んでいるのだ、無能な警察を嘲笑っているのだ。

松本サリン事件はどうであったか。富山の婦女暴行事件はどうであったか。

事の始まりは、第一線捜査員の資質・人間性なのだ。己が付与されて担う権力の意義や強さをどのように弁えているのか。確かな裏付けの乏しい思い込みや予断をもって決めつけるばかりか、誘導尋問と称して、ときには嘘偽りを交えてまで「落とし」にかかる。ここから誤った方向づけが為されるのだ。レールが一度敷かれると、検察もそれに乗っかってしまい、おいそれと方向転換はしない。裁判の過程で、こうした誤りをどの程度正せるのか。裁判員制度や争点整理など、一見、改革に努めている風ではあるが、国民の信頼を果たして得られるのか。

事実とは異なる現場見取図をかざして決めつける刑事、全治期間を値切ってくる検察事務官、支い棒が要るんじゃないかと思うくらいにふんぞり返って肘を張り、飛び降り自殺の現場にゆっくり歩を運ぶ警察官・・。かって経験したものである。